

朝、コーヒーを淹れてマグカップを手に取ると、土の質感や釉薬の表情が自然と目に入ります。「益子焼は厚手で素朴な器」という印象を持つ人も多いですが、しっかりとした厚みを感じるものもあれば、驚くほど軽やかな器もあります。
益子焼は栃木県益子町を中心に、真岡市・茂木町・市貝町の一部を含む地域で作られてきました。益子焼は特定の様式を指すわけではなく、一帯で作られた陶器の総称です。
1852〜53年頃に窯が開かれたとされ、その後、日用品として使われる器づくりを中心に発展してきました。現在では伝統的な技法を受け継ぐ窯元と、新しい表現に取り組む作り手の双方が活動しています。
益子焼は陶器であり、主な原料には新福寺粘土や北郷谷粘土が使われます。可塑性を補うために木節粘土を混ぜることもあり、こうした土づくりが益子焼の特徴につながっています。
伝統的工芸品の指定としては、柿釉、黒釉、糠白釉、糠青磁釉、並白釉、あめ釉、灰釉などの伝統的な釉薬による作陶が規定されています。
益子焼の始まりは、江戸時代末期の1852〜53年頃とされています。当時、笠間で陶業を学んだ大塚啓三郎が益子に窯を築き、日用品として使われる陶器の生産が始まりました。
明治から大正にかけては、生活の中で使われる甕や壺、すり鉢、食器などが数多く作られ、地域の窯業として発展しました。1920年代以降になると、柳宗悦らが提唱した民藝運動や、陶芸家・濱田庄司の活動によって益子焼は全国的な注目を集めるようになります。戦後には日用品としての器づくりがさらに発展し、多くの窯元が普段使いの食器を制作するようになります。一方で、個々の作家による表現も広がり、現在では伝統を受け継ぐ器から現代的な作品まで、多様な益子焼が生み出されています。
また、1966年に始まった益子陶器市は現在も春と秋に開催され、日本全国から多くの来場者が器を求めて訪れる大きな祭典にもなっています。

益子焼の特徴は、土の性質と、それを生かす釉薬や成形によって生まれる表情にあります。
主な原料である新福寺粘土や北郷谷粘土はシリカの含有率が高く、単独では成形しにくい性質を持つとされています。そのため、可塑性を補う目的で木節粘土を混ぜて使われます。
伝統的には厚みのある成形が多く見られますが、現在では軽やかな作品も数多く制作されています。釉薬による多彩な表情の仕上がりも益子焼を特徴づける重要な要素です。
こうした土や釉薬の組み合わせに加え、作り手ごとの成形や焼成の違いによって、一つひとつ異なる表情が生まれます。益子焼の魅力は、「厚手」「素朴」といった一つの印象ではなく、日常で使う器として育まれてきた多様な表現の中にあります。
益子焼は土を整えるところから成形、焼成、仕上げまで、いくつもの工程を経て作られます。工程は窯元や作り手、制作する器によって異なりますが、基本的な流れは共通しています。
1. 土を準備する
益子焼は新福寺粘土や北郷谷粘土を主な原料とし、木節粘土を混ぜる。
2. 成形する
器の形に合わせてろくろや型などを用いて成形する。
3. 乾燥・素焼き
成形した器を十分に乾燥させた後、素焼きを行う。この工程によって器に強度が生まれ、釉薬を施す準備が整う。
4. 釉薬を施す
益子焼では、柿釉、黒釉、糠白釉、糠青磁釉、並白釉、あめ釉、灰釉など、伝統的な釉薬が受け継がれている。どの釉薬を使うかによって、焼き上がりの色や質感は大きく異なる。
5. 本焼きを行う
本焼きでは、焼成方法や窯の状態によって器の表情が変化する。黒釉は、酸化焼成と還元焼成で異なる表情になることがある。こうした焼成の違いも、益子焼の多様な表現につながっている。
益子焼の伝統的な釉薬による表現には、それぞれ異なる特徴があります。
柿釉は鉄分を含む芦沼石を原料とし、赤みを帯びた色合いになるとされています。黒釉は焼成条件によって表情が変わり、酸化焼成ではざらっとした質感に、還元焼成では光沢のある滑らかな質感になることがあります。糠白釉は籾殻の灰を原料とする白い釉薬で、色の濃い素地との対比が特徴です。
これらは益子焼を代表する伝統的な釉薬ですが、現在では作り手ごとにさまざまな表現が生まれており、一つの作風に限定されないのも益子焼らしさといえます。
益子焼は日用品として発展してきた歴史を持つ陶器です。同じ産地の中でも、厚みや釉薬、形の異なる器が作られており、使う場面に応じて選ぶ楽しみがあります。