

味噌汁をよそった黒い汁椀をそっと手に取ってみると、漆の表面に映る光が思いのほか柔らかいのがよく分かります。
輪島塗は、石川県輪島市で作られる漆器です。ケヤキやアテなどの木を加工した木地に下地と漆を重ね、汁椀、盆、重箱、箱物などに仕上げられます。贈答品や特別な席の器として知られる一方、汁椀や盆、箱物など、暮らしの中で使われる道具としても活躍してきました。
1975年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となり、1977年には工芸技術として重要無形文化財にも指定されています。「輪島塗」という名称は産地を示すだけでなく、輪島市内で一定の工程を経て作られることを前提とした品質規定とも結びついているのです。
大きな特徴は、地の粉を使った多層の下地と専門職による分業。木地師が器の形を作り、下地師が木地を補強し、上塗師が表面を仕上げます。作品によっては蒔絵師や沈金師が装飾を加えます。蒔絵や沈金を施した器がよく知られていますが、黒や朱の漆そのものを生かした無地の汁椀や盆も人気があります。
輪島塗の起源については、大陸から技術が伝わったという説、紀州の根来塗に由来するという説、能登で作られていた合鹿椀の系譜から発展したという説があります。1476年の棟札に残された漆塗りの記録は現存最古級の資料とされており、15世紀には輪島周辺で漆塗りが行われていたことを示す物証となっています。
輪島塗の現在の構造につながる技術は、江戸時代に形づくられていきました。寛文年間(1661〜1673年)には、輪島周辺の珪藻土を原料とする地の粉が下地に使われ始めたとされています。地の粉を漆と混ぜて木地に重ねる技法は、布着せとともに輪島塗の下地を特徴づける要素となりました。
その後、享保年間(1716〜1736年)には沈金が確立したとされ、文化文政期(1804〜1830年)には蒔絵が導入されます。同じ頃に講を通じて椀を販売する「椀講」という仕組みも考案され、輪島塗の販路が各地へ広がりました。技術だけでなく、複数の職人や商人が関わる産地の仕組みもこの時期に発展していきます。
近代以降は技術の保存と継承が制度化されました。1967年には石川県立輪島漆芸技術研修所が開設され、以来、後継者の育成が進められています。1975年の伝統的工芸品指定、1977年の重要無形文化財指定によって、木地、下地、塗り、加飾に関わる技術が産地全体で受け継ぐべきものとして位置づけられました。
2024年の能登半島地震では、工房や産地の設備に大きな被害が生じました。その後、仮設工房の整備などが進められ、輪島での制作は現在も続いています。産地の再建は途上にありますが、分業で支えられてきた技術をどのように次へつなぐかという課題も含め、輪島塗は今も変化の中にあります。

輪島塗の特徴は表面だけでなく、その下に重ねられた木地と下地にあります。
木地には椀や盆などに使われるケヤキ、曲物や箱物に使われるアテなど、用途に応じた木材が用いられます。木地の形を整えたあと、欠けやすい椀の縁や高台などに麻布などを漆で貼る「布着せ」を施します。
その上に使われるのが、輪島周辺の珪藻土を焼成し粉砕した「地の粉」です。粒の大きさが異なる地の粉を使い分けながら下地を重ね、各段階で研磨します。この多層の下地は「本堅地」と呼ばれ、布着せとともに、輪島塗の丈夫さを支える特徴的な技術として知られています。
漆は、一般的な塗料のように溶剤が蒸発して乾くのではありません。漆に含まれる酵素の働きによる酸化重合反応によって硬化します。そのため、塗った漆は温度と湿度を管理した漆風呂と呼ばれる室で硬化させます。
漆そのものの多くは輸入に頼られており、国内で使われる漆に占める国産漆の割合は約5%とされています。一方、下地に使う地の粉は輪島周辺の地層に由来する素材です。完成した表面には、黒や朱の無地の塗りのほか、蒔絵や沈金が施されることがあります。蒔絵は、漆で描いた文様に金銀粉などを蒔いて定着させる技法。一方、漆の表面を細い刃物で彫り、その溝に金箔や金粉を入れるのが沈金の技法です。同じ金色の装飾でも、表面に文様を重ねる蒔絵と彫った線を生かす沈金では作り方と見え方が異なります。
木胎の漆器は陶磁器と比べて熱が伝わりにくいとされ、汁椀など温かい料理を入れる器として使われています。湿気や気温などの環境、そして使い込みや手入れによって、表面の質感や色合いに変化が生じるのも特徴の一つです。
輪島塗は、木地、下地、塗り、加飾など、それぞれを専門とする職人が工程を分担することで、一つの器が完成します。
工程の数え方には、漆塗りの工程を中心に約30工程とする数え方と、木地づくりから加飾までを含めて124の細かな工程とする数え方があります。数字よりも重要なのは、それぞれの工程で異なる専門技術が積み重ねられていることです。
1. 木地づくり
椀や盆などの形に合わせて木材を加工し、ろくろや刃物で土台となる木地の形を整える。用途に応じて木材を選び、厚みや口縁、高台の形まで調整する。
2. 布着せ
椀の縁や高台などに麻布を漆で貼る工程。完成すると見えなくなるが、衝撃を受けやすい部分を補強する役割がある。
3. 下地づくり
地の粉と漆を混ぜた下地を重ねる。粒の大きさが異なる地の粉を用途に応じて使い分け、塗っては硬化させ、研ぐ工程を繰り返す。この下地が完成後の塗膜を支える土台となる。
4. 中塗り・上塗り
漆を塗った後は、温度と湿度を管理した漆風呂で硬化させる。表面の色や艶だけでなく、刷毛目や厚みが均一になるよう調整しながら仕上げていく。
5. 加飾
作品によっては、最後に蒔絵や沈金などの装飾を施す。どちらも輪島塗を代表する装飾だが、すべての輪島塗に施されるわけではない。
輪島塗にはさまざまな仕上げがあります。ここでは代表的な3つの表面表現を紹介します。


